MENU

運動音痴は生きづらい?運動音痴として生きてきた体験談を暴露

当ページのリンクには広告が含まれています。
運動音痴は生きづらい

運動音痴は生きづらいってホント?自分の子供が運動音痴になったらどうしよう…

運動音痴が生きづらいのは事実です。運動音痴は、運動神経が良い人や平均的な人に比べると人生の難易度が遥かに高いです。

私は実際に運動音痴として生きてきたため、運動音痴の生きづらさをこれでもかというほど経験してきました。

もし自分の子供を確実に運動音痴にしない技術があるなら、300万円くらいなら平気で支払います。それくらい運動音痴が人生にもたらす闇は深いのです。

この記事では、運動音痴の生きづらさについて、その理由や具体的な体験談を解説しています。

この記事を読めば以下のメリットがあります。

  • 運動音痴の生きづらさを具体的に理解できる
  • 運動音痴になってしまった人が生きづらさを軽減するためのノウハウを知れる
  • 自分の子供を運動音痴にしないための科学的な対策を知れる
目次

運動音痴は生きづらい理由

  • 9年間毎週絶望を感じるから
  • 成人になるまで自分に自信を持てないから
  • 大人になってもスポーツを楽しめないから

以下、順に解説します。

 9年間毎週絶望を感じるから

運動音痴にとって、学校の体育の授業は絶望と屈辱の時間です。なぜならば、どんなに一生懸命取り組んでもうまくいかずみじめな思いをするからです。

運動音痴の努力は報われない

運動音痴は運動神経が悪いため、頭で考えている通りの動きができません。どんなに必死でがんばっても適切に体を動かせず失敗します。

運動音痴が思うように体を動かせない例
  • ボールが自分の方へきたから蹴ろうと思っても空振りしてしまう
  • 跳び箱を跳ぼうと勢いよくジャンプしても跳び箱に乗ってしまう

周囲から見たら運動音痴は真面目にやっていないと思われるかもしれません。しかし運動音痴は心の中では真剣に取り組んでいるのです。

体育の授業で運動音痴は見せ物になる

どんな人にも得意なことと苦手なことがあります。そして学校では、自分が苦手なことに取り組んだ結果を他人に知られることはありません。算数のテストの採点結果は先生から子供へ渡されますが、周囲に公開されることはありません。学期末に渡される成績表の内容も、クラス内に公開はされません。

しかし、体育だけは違います。

体育では、自分の取り組みが常に周囲の目に晒されます。

運動音痴は自分が苦手な運動に取り組んでうまくいかない無様な様子を、常に周りに見られてしまうのです。

算数の授業でも、前に出て皆の前で黒板に答えを書く機会はありますよ?他の授業でも先生からあてられることはありますし…

体育以外の授業でも自分の取り組みが他人に見られることはあります。しかしそれは先生にあてられた時など、限られています。解くべき問題も優しめです。思い出してください。難しい問題に関しては「この問題、わかる人いる?」と先生がクラス全員になげかけて、わかる人が挙手していましたよね?

しかし体育は、クラス中の全員が常に運動に取り組まなければならず、常に周囲の目に晒されるのです。

体育の授業は週に2~3回はあります。それが小学校1年生からずっと続くのです。

最低でも義務教育期間の小学校6年間、中学校3年間の間、運動音痴は体育の授業の絶望を毎週味わなければなりません。

以上をふまえ、運動音痴は生きづらいと言えます。

でも、たとえ自分の苦手なことを他人に見られていても気にしなければいいのでは?運動音痴だって体育の授業で少しずつ成長するはず。人と比べるのでははく、過去の自分と比べて成長を感じるのが大事ですよ。

他人と比較するのではなく過去の自分と比較する。確かにその境地に至れれば、運動音痴を周囲に晒すことによる絶望感は感じずに済みます。

しかし、明確に周囲から非難・否定されたらどうでしょうか?

実は、体育の授業における運動音痴の絶望は、運動音痴を周囲の目にさらすことだけに留まりません。続いて、周囲から明確に罵声を浴びる運動音痴の絶望を解説します。

パラハラ級の人格否定を受けて自分に自信を持てないから

小学校低学年~中学年の体育の授業では、みんな和気あいあいと楽しみます。

しかし、小学校高学年~中学校の体育の授業では、「もっと良い成績、良い記録を残したい」というハングリー精神が生まれます。

個人競技では皆自分自身のパフォーマンスを競い合うだけですが、団体競技となるとチームとして成績を競い合うことになります。

運動音痴は団体競技において周囲の足を常に引っ張るため絶望感を感じます。

特に、競争意識が芽生えている小学校高学年~中学生の世界では、運動ができる人から「お前何やってんだよ!」「下手くそ!」など明確に非難を浴びせられてしまいます。

運動音痴は決して怠けている訳ではありません。チームに明確をかけないよう必死で体を動かしています。しかし運動音痴は運動神経が悪いため思うように体を動かせず、ミスをしてチームに迷惑をかけてしまうのです。

運動音痴が団体競技でチームに迷惑をかける例
  • サッカーにおいて、自チームのゴール前で敵にボールを渡してしまい、そのままシュートを決められてしまう
  • バレーにおいて、ボールをトスできずその場に落として失点してしまう
  • 野球/ソフトボールにおいて、フライをキャッチできず失点を招いてしまう

子供の世界ではパワハラがまかり通る

大人が働く職場では、人格を否定するような発言をすれば即パワハラで訴えられます。なぜならば、人格否定は相手の精神を深く傷つけ、職場で働けなくなってしまうリスクがあるからです。

大人の世界では禁止されているパワハラ発言

山田さん、あなたは仕事できないからうちの部署にはいらない。他の部署に移動してくれないかな?

なんでこんな簡単な仕事できないの?馬鹿なの?

現在、パワハラは日本政府から社会問題とみなされ、パワハラを防止するための法律まで制定されています。大人の世界ではパワハラすれば逮捕されます。

つまり、パワハラとは、加害者を逮捕する必要があるほど、人間に深刻なダメージを与える罪深い行為であることを意味しています。

しかし、体育の授業では以下のようなパワハラ発言は注意されません。

田中は下手だからウチのチームには要らない、他のチームに移ってよ

なんでこんな簡単なことできないの?馬鹿なの?

もちろん暴力行為にまで発展すれば教師が止めに入りますが、上記のような口頭のやりとりは取り締まられないのです。

大人の世界では加害者を逮捕する法律ができるほどに深刻なダメージを与えるパワハラ発言を、運動音痴は毎週体育の授業で耐えなければなりません。

運動音痴の子供は自分に自信が持てなくなる

あなたは職場で毎週のように以下の発言をうけたらどうなりますか?

なんでこんな簡単なこともできないの?

チームに迷惑かけないでほしい

後輩のA君は普通にできているけど?

自分に自信を持てなくなるはずです。

運動音痴は、人間としての精神の基礎が固められる子供時代に、毎週のように上記発言を受け続けます。運動音痴は自分に自信を持てなくなり、その後の人生で様々なことへ挑戦する精神力が養われないのです。

以上をふまえ、運動音痴は生きづらいと言えます。

子供が運動音痴だと生きづらいのは理解しました。でも、体育の授業があるのは高校までです。高校を卒業して成人となり社会に出れば、運動音痴の生きづらさを感じることはないですよね。

「大人になれば運動音痴のデメリットはない」という考えは全くの見当違いです。運動音痴の生きづらさは大人になっても続きます。続いて、大人が感じる運動音痴の生きづらさを解説します。

大人になってもスポーツの場から逃げ続ける必要があるから

実は、高校を卒業して体育の授業から解放されても、運動やスポーツをする機会は意外とあります。

大人になった後にスポーツをする機会の例
  • 大学/専門学校のサークルや職場仲間からスノーボード、フットサル、ボーリングなどスポーツ系の遊びに誘われる
  • 職場で部対抗の運動会やボーリング大会など、スポーツ系のイベントが企画される
  • 子供の運動会において父兄参加型の種目がある

当然、運動音痴は上記のような運動・スポーツ系のイベントへの出席を回避しなければなりません。なぜならば、運動音痴が上記のようなイベントへ参加すれば、運動音痴故に周囲に迷惑をかけるからです。

特に、大人になって誘われるスポーツ系のイベントは必ずと言っていいほど団体競技やチーム戦です。個人競技だったらそもそも大人同士が集まってやる必要やメリットがないためイベントとして企画されません。唯一、ゴルフは個人間の記録を競うスポーツでありながら大人の世界でも頻繁に企画されますが、運動音痴はボールを前に飛ばせずコース進行に支障をきたし周囲に迷惑をかけてしまいます。

大人の運動音痴はひどい

運動音痴は大人になると定期的な運動習慣がなくなります。それまでの人生で嫌な思いしかしてこなかった運動やスポーツを、自主的に取り組む運動音痴は極めて少ないからです。

運動習慣がなくなった大人の運動音痴は、未成年時代よりも更に運動神経が悪くなっています。

こんな状態でスポーツ系のイベントに参加すれば周囲に迷惑をかけることは明白です。

参加必須型の運動イベントにおいて運動音痴に残された選択肢は地獄の2択

大人の運動音痴はスポーツイベントを回避しますが、中には参加必須型のイベントもあります。

たとえば職場の部署対抗の運動会など職場で企画されたイベントは、特に若手のうちは参加必須とされる傾向があります。なぜならば、参加人数が少ないと盛り上がらないので、運営側は組織の中で扱いやすい若手を参加必須とすることで一定の参加人数を確保したいと考えるからです。

参加必須型のスポーツ系イベントに対して、運動音痴に残された選択肢は以下の2つです。

参加必須型のスポーツ系イベントへの対応パターン
  • 参加して、自分の運動音痴を発揮し周囲に迷惑をかける
  • 「それなら仕方ない」と運営側に思われるような、やむをえない理由によって欠席する

参加して周囲に迷惑をかけるくらいなら、何か理由を作って欠席する方がマシかもね、、、

実際、私が以前勤務していた職場では毎年部署対抗の運動会がありました。運動音痴の私は毎年何かしらの理由で欠席していました。しかし、欠席することによるデメリットも当然あります。

参加必須のイベントを欠席するデメリット
  • 参加必須故に嫌々参加した人から、「なんであいつ参加しないの?」と反感を買う
  • 職場のイベントの場合、上司から「若手なのになんで協力しないんだ」と反感を買う

運動音痴が大人になると、スポーツ系のイベントには参加してもしなくてもどちらも辛い未来が待っています。従って、運動音痴は生きづらいのです。

生きづらい運動音痴の体験談

実際に運動音痴として生きてきた私が経験した生きづらさについて、生々しい体験談を紹介します。

休み時間に遊ぶ友達がいない

運動音痴の子供にとって辛いのは体育の授業だけではありません。もしも友達が休み時間に全員校庭でスポーツを楽しむようなると、休み時間も運動音痴にとっては辛い時間となります。

運動音痴はスポーツに参加すると同じチームに迷惑をかけると理解しているため、休み時間のスポーツ遊びへの参加をためらいます。

その結果、運動音痴は休み時間にいっしょに遊ぶ友達がおらず、1人で図書室で読書するなどして過ごします。

運動部に入ると人権がなくなる

私は運動音痴にも関わらず、中学の時バスケ部に入りました。

運動音痴なのにバスケ部に入った理由
  • 漫画「スラムダンク」を読んでバスケに憧れていた
  • 運動音痴でも努力すれば報われると思っていた

部活はヘラヘラ楽しむためにやるのではなく、試合で勝つためにやるものです。

運動音痴が周囲の足を引っ張れば、身に受ける非難や罵声は体育の授業の比ではありません。

さらに雑用も押しつけられます。雑用仕事は順番制なんて甘い主張は通用しません。「お前試合出てないんだからやれよ」と言われたら何も言い返せないのです。

学生の部活とはいえ、運動部は実力主義の世界。部活というコミュニティの中で運動音痴は最底辺に位置づけられ、人権がないと言っても過言ではありません。

バレーボールが試合として成立しない

運動音痴の私が体育の授業で最も恐怖を感じたのがバレーボールです。

運動音痴にとってバレーボールは恐ろしい理由
  • 自分がレシーブやトスに失敗してボールを落とすと即失点になりゲームが中断する
  • 1チーム6人制で全員守備・全員攻撃のためそこそこの頻度でボールが回ってくる
  • サーブは交代制のため必ず打たないといけない

コート上の1人1人にけっこうな頻度でボールが回ってくる上、ミスしたら即失点するため、運動音痴がチームに迷惑をかけるリスクがもっとも高いスポーツと言えます。運動音痴の私は連続してレシーブをミスして連続失点を招き、私がボールに触れると即試合が止まる状況を作り出しました。

もはや試合として成立しておらず、チームメイトからは「いい加減にしろ」と罵倒されたのを今でも覚えています。

職場の運動会を欠席して職場で気まずい雰囲気になる

私が以前働いていた会社では、年に1回運動会が開催されていました。会社内の事業部対抗で競い合う、会社公認のスポーツイベントです。

私が所属していた部署の部長はスポーツ大好き人間で、部内の全員に対して「全員必ず出席するように」と指示を出していました。

しかし運動音痴の私は参加すれば周囲に迷惑をかけることは明白です。「その日は友人の結婚式に出席するため」と嘘の理由をでっち上げ、運動会は欠席しました。

当時私は部署で最年少の若手です。同じ部署の先輩からは、「部長から全員出席って言われてるのになんで出席しないの?」と指摘され、気まずい雰囲気になりました。

友人グループにおける運動系の遊びに参加できない

社会人になると、友人グループ内で運動系の遊びが度々企画されます。

運動系の遊び
  • フットサル
  • ボーリング
  • スノーボード
  • スポッチャなどの運動系アミューズメント施設

あくまでも遊びなので、学生時代の部活に比べれば本気度は高くありません。

しかし運動音痴は下手すぎて場を盛り下げてしまう恐れがあります。学生時代の体育の授業でのトラウマも甦ります。

結果として、運動音痴の私は運動系の遊びには誘われても何かと理由をつけて断り参加しませんでした。

生きづらい運動音痴にならないためには

生きづらい運動音痴にならないためには、幼少期に十分は運動を経験しておく必要があります。なぜならば、人間の運動神経は以下のように幼少期に完成するからです。

運動神経の0~80%6~7歳までに完成
運動神経の80~100%7~12歳までに完成

運動神経とは、自分の体を思うように動かすために脳から筋肉へ送られる電気信号の回路を指します。この回路は脳から筋肉へ指令が送られる度に洗練され形作られます。

12歳までに100%完成してしまうため、言い換えると「12歳までにどれだけ多くの運動を経験して、多種多様な神経回路を形成してきたか」によって運動神経の良し悪しは決まるのです。

12歳以降では運動音痴は治せないということ?

残念ながら、運動神経は12歳までに完成してしまうため以降は改善できません。運動音痴の状態で既に12歳を迎えてしまった人は、運動音痴を治すことはあきらめ、運動音痴として生きていくことを受け入れる必要があります。

まとめ:運動音痴は生きづらい

以上、運動音痴の生きづらさについて解説しました。改めてまとめると以下の通りです。

運動音痴は生きづらい理由学生時代は9年間毎週体育の授業で絶望を感じるから自分に自信が持てなくなるから大人になってもスポーツの場から逃げ続ける必要があるから
生きづらい運動音痴にならないためには12歳までの幼少期に多種多様な運動を経験して運動神経の掲載を促す

1人でも多くの人が、運動音痴として生きる十字架を背負わなくていいよう、運動音痴を回避していただけると幸いです。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

目次